「新聞」の手話表現は昔から変わったのか?
新聞の手話表現は知っていいますか?
右掌を握って、肘を90度に曲げて
肘から手首を垂直に立てた状態で
左手の甲側を右ひじに付けた状態で
右手こぶしをくるくる回転させる表現ですね
(詳細は辞典を参照してください)
この手話の語源として、新聞の号外(瓦版)を配るしぐさと説明しているものがありますが、本当でしょうか?
号外を配るときの手に持ったベルを振る仕草のようですが、
疑問に思う点は次のとおりです。
・ベルを表現するのに、掌を握るだろうか?
鈴を表す表現として指を軽く曲げた表現との違いは何か?
・左手の表現(右ひじに付ける形)は何を意味しているのだろうか?
まったく意味を持たない表現は時代とともに省略される変化がよくあります。
最近は左手の表現を省略した表現をよく見ます。
そこで、この「新聞」の表現はどこから生まれてきたのだろうか?
想像するところに、「畳」の手話表現があります。
どこかのタイミングで、「畳」の手話表現を読み違えて、一般化して
いまの「新聞」の手話表現に定着しているのではないでしょうか?
「畳」と「新聞」の手話表現の違いはあまりありません。
それでは、元々の「新聞」の手話表現はどのような形だったのでしょうか?
手話単語は聴覚障がい者の工夫が盛り込まれた良い手話がたくさんあります。
この「新聞」の手話表現も素晴らしい発想で作られたことと思います。
「新しい」+「聞く」+「印刷」です。
「新しい」+「聞く」=「新聞」ですが、「印刷」が付くことで、
紙に印刷された「新聞」ということが明確にわかります。
目の前で、「新しい」の手話表現で、
「新しい」+目のまえ=「目新しい」(珍しい)の手話表現が今でもあるように、
「聞く」+「新しい」があってもよいでしょう。
どのように表現するかというと、耳の横で新しいの表現をします。
「新しい」の表現は上に指を開くのではなく、耳に向かって開きます。
さらに、「印刷」の手話はどうでしょうか?
今では、死語になった手話表現ですが、ガリ版印刷(謄写版印刷)の時代の
「印刷」という手話表現が昔にはありました。
この「印刷」の手話表現は、左手を体の前に水平にして、
右手の肘を左手の手の甲に付けた状態で、
右手の掌を左手の肘に付けたり離したりする表現です。
わかりづらいとは思いますが、今の印刷とは違う表現ですね。
話を戻して、「聞く」+「新しい」+「印刷」の印刷は、
左手の部分が印刷の表現になります。
きれいな、良い手話表現ですが、今では、見ることができません。
平成30年の時点で、80歳以上の高齢者に、
この「新聞」の手話表現を昔は使っていたか聞きたいところです。
「畳」の手話表現と、現在の「新聞」の手話表現が読み違い、勘違いで定着し
昔の「新聞」の手話表現が消えてしまったのはさみしいですね。
これで、現在の「新聞」の手話表現の左手の意味がつながったことと思います。